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あゆみ

1948年~1975年 1975年~1988年 平成元年~1999年  1999年~現在
■創設者 瀧 富士太郎時代(1948年~1975年)  交通界の文化向上を目的とした公共事業の支援会社時代 (広告・アート)
 
瀧 富士太郎
【1】創設者、瀧 富士太郎
 
交通協会ビル
【2】会社設立の翌年に事務所を交通協会ビル(現ビルと同位置)に移転。
 
木製ベンチ
【3】わが社が広告媒体として開発した日本初の「ベンチ広告」
 
第3東京ビルヂング
【4】昭和40年、交通協会ビル跡地に完成した第3東京ビルヂング(現、新国際ビル)に移転。
 
東京駅「天地創造」
【5】鉄道100年記念事業として東京駅に設置された日本初の公共ステンドグラス「天地創造」。(財)日本交通文化協会と連携し、企画を推進。
 
1948年(昭和23年)
2月
 
  政財界および交通界のジャーナリストであった瀧冨士太郎(左写真【1】)が、鉄道文化の向上発展を目的とした「財団法人 日本交通文化協会」(同年9月30日設立)を設立・運営する為の事業会社として「交通文化事業 株式会社」(現NKB)を創設。
代表取締役社長に新井堯爾氏(当時の日本交通公社会長)を迎え、創設者である瀧冨士太郎は代表取締役専務に就任。
 
 
1949年(昭和24年)
6月
 
  事務所を交通クラブ(有楽町ガード下)より交通協会ビル(現ビルと同位置-左写真【2】)三階に移転。
交通広告事業の第一歩として、地下鉄の出入口にタイアップ広告を新規企画し掲出。
 
 
1950年(昭和25年)  
財団法人 日本交通文化協会」が国鉄利用者のために寄贈した木製ベンチに看板を取り付け、広告の新媒体として開発。(「ベンチ広告(左写真【3】)」の誕生)
 
 
1958年(昭和33年)
3月
 
  帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)の指定広告代理店となる。
 
 
1965年(昭和40年)
9月
 
  第3東京ビルヂング(現 新国際ビル-左写真【4】)に移転
 
 
1972年(昭和47年)
10月
 
財団法人 日本交通文化協会」が鉄道100年記念事業として、東京駅地下中央通路大階段正面に日本で初の公共ステンドグラス「天地創造(左写真【5】)」(福沢一郎作)を設置。上記協会との連携により、当企画を推進。
 
 
1975年(昭和50年)
12月
 
  創設者である瀧 冨士太郎、業務中に交通事故により逝去(享年72歳)
 
1948年~1975年 1975年~1988年 平成元年~1999年   1999年~現在
 
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